2012年8月アーカイブ

やっぱり掲示板は大切

 勝專寺の親鸞証人750回大遠忌法要が平成24年5月25日・26日・27日に無事終わりました

25日は少し雨が降りましたが、本堂内のプログラムなので影響はなく、26日・27日と晴天に恵

まれ、プログラム、内容、盛り上がりにおいても、勝專寺の歴史に残る法要だったと思います。

私は終わってすぐに、記念撮影の10種類の申し込みや配布、3000枚のスナップ写真の整理

に追われて、掲示板に写真を張りださないとと感じながら、少しサボっていました。法要が終わ

てもがらんと空いた掲示板を見かねて坊守さんが、「利秀さん、掲示板がさびしいので法要の

写真を少しでも」と言われて、サボっていた私は慌てて写真を選別、掲示板に張り出してもら

いました。

  すると反響は瞬く間に広がり、掲示板はご門徒の中で話題になりました。法要の余韻は、

また、盛り上がりました。写真の話題を聞き、わざわざ写真だけを見に来る人も多くあらわれ

ました。私は、掲示板をサボっていたことに反省をしました。今は、法要の記念誌とDVDの

制作を急いでいます。

 

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長距離トラック

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  長距離トラックを見るといつも思い出します。今から15年ぐらい前のことです。大阪の堺市

にある大型クレーン会社の仕事を半年ほどしていました。社員の研修用ビデオと、新規のお

客様にアピールするためのビデオを創って欲しい言われ、5作品ほど創りました。3作目の時

に、次の作品には社内でも模範になるようなクレーンのオペレータが必要ですね。ということ

になって紹介されたのが、大柄の少し無骨な感じのする無口な60歳前の男性でした。ご担当

は、内で1番優秀なナンバーワンオペレーターですからと、自慢げに笑っていました。

 

 本当にその方は優秀で、難しい仕事も私の要求もスイスイこなしてくれました。仕事が終わっ

て会議室で二人になる機会があって、私が「どうしてクレーンのオペレータになられたんですか」

と尋ねると、その方は「それまでは長距離トラックの運転手をしていたんです。仕事もきつかっ

たのですが、家族も私が家にほとんどいないせいか分かりませが、高校1年の一人娘が非行

に走って、そのうち家内がガンになって余命6か月と言われて、もうめちゃくちゃでした。それか

ら、家内がなくなって娘の非行がピタッと止まったんです。家のことは良くやってくれるし、私の

弁当は作ってくれるし、学校にはまじめに行くし、それは、私もびっくりしました。

 

 ある日、長距離トラックの運転手はしんどいから、クレーンのオペレータに変わりたいと娘に

相談したんです。でも、私は学がないし中卒なので試験があるのに漢字が読めない、漢字の

意味もわからない。すると娘が仕事に出るたびに、3ページずつ参考書を読んで、漢字の意味

も調べてカセットに録音してくれたんです。私は仕事に出るたびに、トラック

それを聞き続けました。娘とそれを1年続けました。それで、クレーンの試験

を受けたら1回合格したんです。その時は、娘と抱き合って喜びました。

は娘とそんな時が来るとは思ってもみませんでした。家内も働き者でした

が、娘も働き者になりました。太田さん命って乗り移るんですね。」その方の

話は終わりました。私の目からは涙がこぼれそうでした。その時、命を

リレーして行くということは、本当に大切なことだと思いました。私は高速道

路でトラックを見るたびに、この話を思い出します。

比叡山の修行僧

 7月久しぶりに比叡山に行ったので、明王堂まで行ってみました。明王堂は
ケーブルの駅から南東に800メートルほど谷を降りて行きます。行きは良いけ
帰りが大変です。息はハアハア、足はガクガクになります。明王堂付近は
親鸞聖人の修行地、千日回峰行の修行地で知られています。

 明王堂に中に入ると若い天台の修行僧が磨きものをしていました。ここ
まで人が来るのは珍しいので、いろいろ話しかけてきました。いろいろ尋
ねると栃木、静岡、岡山、熊本の出身で、お寺は一人、3人は在家でした。
お寺じゃないのに、なぜ比叡山に入ったのですかと尋ねると、いろいろ訳
があって・・・。とお互い顔を見合って笑っていました。
修行の中で何が一番つらいですかと尋ねると「今日も100日間、毎朝30キロを
歩いて修行していますが、そんなにつらいと思いませんが、とにかく毎日
同じことを続けるのが一番つらいです」意外な答えだった。激しい修行よ
り、単調な毎日に人間は苦を感じるのかも知れない。
年を尋ねると、一番年上の修行僧が30歳だった。私は親鸞聖人はこの頃、
比叡山を降りたのかと思った。その年格好は本当に若かった。

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仏教壮年会に思う

 私たち栗太組には41のお寺があります。そのうち仏教壮年会を組織するのが
7つのお寺です。勝専寺は今年から3年間、連盟会長職がまわり前会長の私より
3つ年上の千代さんが連盟か会長に、私が仏教壮年会大乗会の会長に就任しまし
た。6月には連盟の総会、そこでは現状や今後の問題が話し合う時間がなく、
7月に7団体の会長、連盟役員が集まり問題を話し合いました。

 問題は終始7団体が会員のお寺ばなれにつきました。景気の低迷、時代の
流れ、地域の伝統や歴史観の崩壊など、それぞれが相乗効果になっているこ
とは、どの団体も認識されているようでした。そして、このままでは仏教
壮年会自体の存続も危ないという切実なところもありました。
近江の湖南地方は伝統的にもご法義のあついところです。それでもこの
現状というのは、これは全国的な現状のように思います。

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この対策というは非常に難しい問題だと思いますが、私は勝専寺大乗会の会長
として、お寺の本来の役割、ご法義を聴聞して生活や人生に生かすということ
もう一度見直し、実行していこうと思います。その為に月1回の例会、例会に
おいての嘆異抄の購読を始めました。そして、それに対する丁寧な案内、
呼びかけも続けています。結果は、2・3名から、7・8名まで徐々にではありますが
参加者は増えています
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嘉屋英嗣さん追悼

 平成24年7月17日午前6時45分、昭和48年龍谷大学入学、宗育部では角坊日曜学校、
山口県岩国市の嘉屋英嗣さんが肝臓の病気で往生されました。ご葬儀に参列した後輩
から、ご門徒を大切にし、住職として慕われていた様子を聞き本当に残念に思います。

 平成22年の11月、勝専寺の念仏奉仕団で本願寺参拝をし、阿弥陀堂での晨朝のこと
でした。なぜか一番前にいくはめになり、仕方なく演台の前に座りました。
おつとめが始まる前に内陣から表れ、演台の斜め後ろのに座ったのが嘉屋英嗣さんで
した。おつとめが終わり、嘉屋さんの穏やかな声が阿弥陀堂に響きました。
 凡夫という法話でした。「欲の中でもがき苦しむのが我々凡夫です。阿弥陀様は
その凡夫にいつも救いますよと、手を差し伸べて下さっています。ともすれば、自己
中心的になりがちな私たちですが、阿弥陀様のお心を大切にし、少しでも人の役に立
つ生き方を心がけましょう」というお話でした。おつとめが終わり嘉屋さんが近づい
てきて、私と嘉屋さんは握手をしました。私は「すぐ分かった、やりにくかった」と
尋ねると「分かりましたよ、やりにくいですよ、目の前ですよ」二人で笑い「真宗ネ
ットワーク50頼むわ」と私が言うと「分かってます。じゃ、失礼します」と笑顔で
去っていった。大仏尚道さんと電話で話していると、それは病気が発覚した直後の
ことだと分かった。嘉屋さん、いろいろありがとうございました。阿弥陀堂での
法話を大切にしてゆきます
 
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広島にて嘉屋英嗣さを偲ぶ会

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嘉屋英嗣さん追悼のことば、思い出、メッセージ、写真をいろいろ送ってください。
ブログで紹介したいと思います。

今 そんな時代ですか

 6月の初めだと思います。車の車検の打ち合わせで、トヨタの親しい担当と話をしていたら
一つの相談を投げかけられました。
 担当「あの太田さん、新入社員に車に興味を持ってくれるようにするには、どうすれば
               いいですかね」
  私「えっ、車に興味があるから、トヨタに入ったのと違うの」
 担当「私らの頃はみんなそうでしたが、今はうのです。だって車に興味がなければ
               お客さんとも話せないし、車を売れないでしょ」
  私「ほな、なんでトヨタに入ったん」
 担当「そら・・・。新入社員いわく、大きいし、しっかりしているし」
  私「そら、大きいし、しっかりしているわな」
私は広く浅くという時代の傾向が、こんなところにまで来ているのか実感した。
一つのことを深くとことん突き詰め興味を持って行く時代は終わったのかと思った。
 それから数日後、福井の栗山祐子さんの舟枝日曜学校に取材に行った。本堂で元気に
歓声を上げる子どもたち、その中でも、特に元気な男の子二人に会った、この子たちはトヨタの
新入社員みたいなことは絶対にないと安心した。

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門徒はお寺の宝

 7月20日、姫路市街から西へ10キロほど行くと、田園風景の中に興宗寺の屋根瓦が低い山を
バックに浮き上がります。興宗寺の常例法座で、臨済宗で7年間修行し、真宗大谷派に変わられた
という珍しい経歴の僧侶が法話をされるというので、ご聴聞に行きました。
   興宗寺は真宗ネットワーク50の発足会員である木村洋司、恵子さんのお寺です。ご講師は
石川県在住の佐野明弘師、禅宗の僧侶の凛々しい雰囲気を残すご講師でした。穏やかに分かり
やすい例え話しを取り入れ、淡々と阿弥陀様の本願について話されました。
 しかし、もっと驚いたのは、お話の間、熱心にびっしりとメモを取り、頷きながらお話を
聞いておられるひとりの女性の姿です。明らかに求めてお寺にご聴聞に来ているという姿です。
私はその女性をちらちらと見ながら、こういうご門徒はお寺の宝だと思いました。    


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いのちには ひとしく

 真宗ネットワーク50のホームページを制作いただいた北川誠さんを紹介いたします。トピックス
でも少し紹介したのですが、北川さんは20歳に時にアルバイト先のスキー場でスノーボードで転倒、
それから車椅子生活になりました。1年位は先が真っ暗でしたと語ってくれました。別にパソコン
には興味がなかったけど、これから生きて行くにはパソコンしかないと、パソコンを猛勉強、パソ
コンを使った障害者自立支援団体、アイ・コラボレーションにも参加し、現在、アイ・コラボレー
ション多賀に所属しています。
 今、北川さんは35歳、手も少し不自由で、グーの状態でマウスを動かし、キーは巧みに右の小指の
くるぶしで打ちます。通勤の車は、ハンドルに右手を固定し、左手でアクセルとブレーキを動かす
改造車です。感心するのはとにかくパソコンやネットワークに詳しい、聞いたことはすべて答えて
くれます。そして、北川さんの明るさと人の役に立ちたいという仕事への意欲には頭が下がります。
 北川さんと見ていると、障害者であろうが、健常者であろうが人のいのちにはひとしく燦々と光が
降り注いでいて、それを感じて生きることの大切さを教えられます。本当に、無理な注文をいっぱい
出したのに、ありがとうございました。

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さらに、ご縁の中で

平成24年8月1日、ようやくホームページを公開することができました。
真宗ネットワーク50も、平成23年2月10日の発足から1年半になりました。現在会員数は59名、
本当に皆様のご協力のおかげでここまで来れたこと、心より感謝申し上げます。宗育部を卒業
して38年、映像ディレクターとしていろいろなことをやってきましたが、どうしても利害関係が
絡むと、純粋に伝えたいこと、伝えなければいけないことが、薄れたり曲げられたりして行く
ことに、もどかしさを感じていました。
 時代の未来、子どもたちの未来を考えたとき、宗育時代の純粋なエネルギーがもう一度輪と
なって、時代に役立つことができないかと、真宗ネットワーク50の発足に至りました。年一回の
パンフレットでは、発信の回数も人数も限られてしまいます。ホームページの公開で一人でも
多くの方に毎日伝え、ご協力とご参加をいただければと思います。
 私個人もこの1年半、宗育時代の多くの人とご縁をいただき、多くのことを学びました。
微力ではありますが少しずつネットワークを広げて行きたいと思います。
                             
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勝專寺 親鸞聖人750回大遠忌法要の撮影で奮闘して
いる写真です。

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ホームページを公開しました。
滋賀県の栗東市から京都の事務所に向かう時、湖岸、国道、高速、抜け道、
どこを通ろうがどこかで比叡山が見えます。親鸞聖人が9歳から29歳まで
20年間修行された山です。8月1日、その比叡山を見ながら、ホームページを
公開するという新たな責任と指名を感じました。